相談役日記

照ノ富士の優勝で思うこと

塾経営のTips
2020.08.07
石井正和

照ノ富士が優勝しました。
序二段まで、番付けが落ちてからの復活ですから、本当に大変な努力だったと思います。

私には、人生の師とも言える尊敬している先輩が一人います。
18歳の頃、私と先輩の二人は、一緒に浪人生活を送り、都下の町田市で新聞配達をしながら大学受験を目指していました。

先輩は家が貧しかった事もあり、中学卒業後、自衛隊に入隊し、高校の卒業資格を通信制の高校で取り、21歳の時に自衛隊を除隊して大学受験を目指していました。

「来年一緒に早稲田に入学しよう」と私に言ってくれましたが、私は一切努力をしなかったので自分がさほど努力しないでも入れる大学に行きました。

先輩は朝3時に起き、新聞配達をし、住まいの町田を出て、高田馬場の予備校に1時間半かけて電車で通い、電車の中も、歩いているときも日本史の参考書や英単語帳を見ていました。

予備校の後は、夕方4時から夕刊を配り、新聞折り込みの準備をし、集金、営業を真面目にこなし、仕事の空いている時間をすべて勉強に注いでいました。

睡眠時間は3時間ぐらいだったと思います。
そして、一年間の努力の甲斐があり、早稲田大学をはじめ受験したすべての大学に合格しました。

私が先輩を尊敬しているのは、その時の努力を私がよく知っているのと、また、社会人になってからも、一代で立派な会社を作られたというのもありますが、そうできたのは先輩の考え方が素晴らしいからだと思います。

私は色々と困ったとき先輩に相談しました。

その時の答えはいつも同じでした。絶対に自分が正しいと思えることを選択し、それで判断をしなさい。
また、嘘な事、インチキな事、卑怯な事は、絶対にするな。とよく言われました。

もう一つ、先輩が私に真剣に話してくれたことがあります。
それは、目標を決めて、それに向かって努力すれば絶対叶うんだ。もし、叶わなければ、ただ努力不足なんだ。と

また、お酒の席では、決まって言うセリフがありました。
先輩はお酒が好きな方で、お酒が進むといつも「出会いこそ人生だ!」とおっしゃっていました。
人を本当に大事にする人でした。

若い頃から、人生を自分で切り開いた人なのに、失敗や後悔はいっぱいしたけど苦労や挫折はしたことがないも話されていました。
先輩からそう言われると、私なんて単なるあまちゃんなんだと思えます。
先輩には厳しいことも何度も言われましたが、本当に感謝しています。

照ノ富士の活躍の裏にも、我々が知らないような努力が必ずあったのだと思います。
結果が出るまであと一歩の人、ぜひ目標に向けてひたむきに努力してください。
そうすれば、必ずその目標は達成できるはずです。